ドイツの巨匠!アルブレヒト・デューラーの傑作を求めて

無事、ドイツの電波に繋がったiPhoneを手にした無鉄砲姉妹は、いよいよ長年夢にまで見たアルテ・ピナコテークへ移動した!そう、ここにはドイツの巨匠、アルブレヒト・デューラー(Albrecht Dürer)の傑作があるのだ。

そもそも、アルブレヒト・デューラーって?

アルブレヒト・デューラーと言われても、ピンとこないかたも少なくないだろう。

それもそのはず。私たち自身、世界史や美術の授業で彼の名を覚えさせられた記憶はほぼ、ない。

いや、正確に言うと、世界史の授業で「北方ルネサンス」の代表者の1人としては勉強したはずなのだが。

しかし当時はたぶん名前を機械的に学んだだけで、実際にどんな絵を描いたか、それにどんな意味があるかなんて、考えなかったんだろうな。。。

その結果、ルネサンス関係で載っていたのでちゃんと覚えているのは授業でも細かくやったイタリアのことばかりだった。やはり、ルネサンスといえば、イタリアだ。

ところで、ルネサンス( Renaissance )といえば中世末期に起こった文化運動。

一応簡単に言えば、

「長ーい中世において芸術活動はキリスト教と不可分だったので、絵画などを見てもテーマが聖書ばかりだったけど、思えばキリスト教誕生以前のギリシア・ローマ文化ってめちゃくちゃ素晴らしかったよね!!」

ということで、ギリシア・ローマの、古典古代の文化を復興しようとした運動だったわけです。(←適当ですみません)

ルネサンスの芸術家といえばご存知、レオナルド・ダ・ヴィンチやミケランジェロ、ラファエロなどで、芸術の都フィレンツェを中心にイタリアだけで起こったこと的なイメージがある。。。

しかし、このルネサンスの流れはイタリアのみに留まることなく、ヨーロッパ全体にさまざまなかたちで現れたのだ。

まさにこの時代に、ヨーロッパ北部で起こったのが「北方ルネサンス」!

というわけで、北方ルネサンスの時代に活躍したドイツを代表する大芸術家こそ、このアルブレヒト・デューラーなのだ!!

北方ルネサンスって、実は凄い!

いやいや、ルネサンスといえばやっぱり本場イタリアでしょ?という方に、是非、この北方ルネサンスの凄さを知っていただきたい。

もちろんイタリアのルネサンス芸術の素晴らしさは、誰もが認めるところ。私たちもイタリアのルネサンス絵画が大好きだ。

しかしマイナーだからといって侮るなかれ!北方ルネサンスには、現代人の心を鷲づかみにするような魅力がいっぱいなのだ!

ここで本筋と外れるが、その一部を紹介したい。

(下線のある箇所をクリックすると別タブでウィキペディアが開くので、知らない絵は是非見てみてください!)

北方ルネサンスの芸術家として特に有名なのは、例えばフランドル(今はないけど今のヨーロッパ北部にあった)のヤン・ファン・エイク。

彼の 『アルノルフィーニ夫妻像』は凄い。これは世界史の資料集でも大きめに図像が出ていたし、授業で少し細かくやったので覚えている。

とにかく、描写が細かく、美しい。たしか資料集にこの夫婦の真ん中にある鏡の周辺が拡大されていたが、その表現の素晴らしさと、横にかかっている数珠の透明感がたまらなく印象的だった。

ちなみにこの絵はアメリカの大ヒットドラマ、「デスパレートな妻たち」のOPでも印象的に使われている。

あとはネーデルラント(今のオランダやベルギーなどにあった)のヒエロニムス・ボスピーテル・ブリューゲルも有名だ。

ボスの『快楽の園』を初めて見たときは、かなりの衝撃があった。てっきり、ぶっ飛んだ現代アーティストが描いたヤバイ絵(失敬)かと思った。

しかしこれが500年以上前に描かれたと思うと、絵画としての好みは別としても凄い芸術家だったのだなあと!だって、めちゃくちゃ今っぽい。500年の時の隔たりをまったく感じさせない。

それに対し、ブリューゲルはまさにその時代そのものを描いた。全体的にかなり平和な感じだが、これまた大変興味深い画家だ。

例えば、『ネーデルラントの諺』という絵には100以上ものネーデルラントの諺が絵で表現されている。

例えば絵の中に、屋根になにやら丸く平たいものがたくさんくっついている箇所がある。

それは「屋根がパンケーキで覆われている」ということで、「豊かな生活を送る」という意味の諺らしい。

また『子供の遊戯』という絵にはおよそ80種類の遊びが認められ、当時の子供達がどんな遊びをしていたかがわかるという視点から見ても興味深い。

ウォーリーをさがせ!とかミッケ!シリーズ好きはこの絵をずっと見ていたい気持ちになることだろう(私たちがまさにそうだ)。

あと、デューラーと同じドイツ人で、イギリスで活躍したハンス・ホルバインという画家も素晴らしい。

特に彼の『大使たち』という絵はおもしろい。一見すると、立派な装いの男性2人がただ突っ立っている絵だが、足元に奇妙なものが斜めに描かれているのに気づく。

そしてその絵を画面左上から覗き込むと・・・

頭蓋骨だ!!!!

これまた、現代のトリック・アートのような絵になっているが、そこにはいわゆる「メメント・モリ (memento mori)」のメッセージが込められている。

メメント・モリ、直訳すれば「死を忘れるな」。つまり、大使のような若く立派な人間でもいつかは死ぬ、という深いメッセージが込められているといえる。

ドイツ繋がりで言えば、クラーナハの柔らかなラインで描かれた女性たちは、とても魅力的だ。

私たちがこの絵で一番に思い出すのはまたもや「デスパレートな妻たち」のOP 。

男女を描く有名な絵画いくつもが登場するこのオープニングで、もっとも重要な役割を果たすのがクラーナハの『アダムとイブ』(のうちの1枚。彼は何度も『アダムとイブ』を描いている)。

やはり、男と女の象徴といえばこの2人なのだろう。

あの大ヒットドラマのOPに2つも入っている北方ルネサンスの絵画たち・・・考えると何気に凄い気が?

・・・というように、こんな素晴らしい&面白い絵がたくさんある北方ルネサンス。

ここでは簡単にしか取り上げられなかったけれど、このほかにもまだまだ興味深い画家&作品がたくさん!

貴方も是非、北方ルネサンスの魅力にとりつかれてください!

アルブレヒト・デューラーとの出会い

大学に入学後、西洋文化史系の授業の中で、コスモは彼の1枚の絵画と出会った。まさか、それが無鉄砲姉妹2人の運命を変えることになるとも知らずに。

その授業では、各回の講義で1~数枚の絵画を取り上げ、その絵に描かれたものや象徴を通して、画家自身はもちろん、その時代背景までを学ぶという、大変楽しいものだった。

確かその最後の授業で、運命を変える1枚の作品に出会った。それが、アルブレヒト・デューラーの『(1500年の)自画像』だ。

デューラーの『(1500年の)自画像』

「1500年の」というのは彼が何枚か自画像を書いているからなのだが、実はそれ自体が注目に値する。

それには、この時代のドイツではまだ画家というのは書くまで「職人」であり、「芸術家」ではなかったことと関係している。

「職人としての画家」、それは依頼主から依頼を受けて、その要望に沿ったものをつくり、その対価として金を貰う存在であり、今で言う、会社に所属したイラストレーターみたいなものだろうか。

相手方の要望や希望に沿っていなければやり直し、あるいは別の人に仕事を奪われる。

また、自分が描きたくないものでも描かねばならない。

そして、完成した絵自体も、客にとってはあくまで「注文していた商品」でしかない。

それが画家の仕事であった時代に、彼は自画像を何枚も描いた。

しかも素描だけならまだしも、当時高価だった油絵でも描いているのだ。

自画像は金にならない。誰から頼まれたわけでもないのだし、画家自身の絵を買いたいという人もまあ、いないだろう。

しかしデューラーは描いた。それはなぜなのか。

諸説あるが、私が授業で聞いたのは、彼がこの絵でもって「芸術家としての自負心を表明したのだろう」という見方だった。

デューラーは、当時ルネサンス真っ盛りのイタリアに滞在(1494-1495)をしている。彼はそこで自分と同じ画家たちが「芸術家」として特別な地位を確立しているのを目の当たりにした。

彼はその頃には『黙示録』の木版画集によってドイツ内外で既に有名になっていたのだが、それでもドイツでは卓越した「職人」でしかなかった。

「ここ(イタリア)では私は紳士ですが、国(ドイツ)へ帰れば居候です」

とは、デューラーがヴェネツィアからドイツへ送った手紙に書かれていた言葉として有名だが、これは彼の素直な気持ちだったのだろう。

そのような体験をしてドイツに戻った彼は、1500年、この絵を描いたのだった。

西暦が2000年になる直前にもいろんな騒ぎがなかったわけではないが、1500年という時代の大きな区切りを前に、当時ヨーロッパではキリスト教でいうところの「終末」の到来を信じそれを恐れる人がたくさんいた。

「2000年問題」とは比べ物にならないほど、人々にとってそれは精神的に深刻かつ重大事であり、キリスト教徒のほとんどの人が多かれ少なかれ恐怖心を抱いたことだろう。

しかし、1500年になっても、何も起こらなかった。無事、新しい時代を迎えたデューラーは、この1500年を1つの区切りとしてこの自画像を描いたとされている。

構図をみると、デューラーは正面をまっすぐ見据えている。同時代の自画像、あるいは肖像画をみると、このような構図はまず、ない。

いや、唯一、この構図で頻繁に描かれるものがある。それは、イエス・キリストその人を描くときである。

その事実を念頭に入れて、再度絵を見てみると、手元の指の形にも興味深い点があることに気づく。

この指の形、何気なく胸元においているようにも見えるが、祝福を与えるキリストの仕草にも見えてくる。

また長く伸びた濃い色の髪。デューラーも確かに長髪ではあったが、他のときに描かれた自画像からわかるように、彼の髪色はもっと明るい。

それをあえて暗い色で描くことで、一層キリストとのシンクロが強められていることがわかる。

つまり彼は、わざと自身をキリストに似せて描いているのである。

これは、同時代の人であれば深く考えずとも見ればわかったことだろう。

自らをキリストに似せるなんていうのは不遜であり、神への冒涜ではないか、という人も出てきそうだ。

しかし、そういう絵ではないのだ。むしろこれは、神への感謝の表現だという。つまり、自分が神から与えられた特別な才能に対する感謝である。

加えて、右の赤い四角で囲んだ箇所にはこう書かれている。

ニュルンベルク生まれのアルブレヒト・デューラー、
ここに消し去ることのできない色彩で28歳の自らを描く

キリストが布教を始めたのが30歳頃といわれ、亡くなったのが33歳頃だとされる。28歳というと、年齢的にもキリストにほぼ重なっている。

つまり、キリストと同じ年頃の自分もまた、なにかを成し遂げんとする強い意志がそこにあるのではないか。

そしてそれは、まだドイツでは職人でしかない画家の立場を高め、ドイツ芸術界の救世主たらんとする強い自負心、使命感の表れに違いない、と。

実際、彼の功績によって、ドイツでも画家は他の職人とは一線を画す特別な存在として、つまり芸術家として認められるようになっていく。

のみならず、当時は自分の技術を弟子にだけ秘伝のように伝えていったドイツの画家たちとは異なり、「 人体均衡論四書」という書に、人体表現において重要な美と数の理想的比例を明らかにした。

これにより、今まではその親方の弟子、あるいは愛弟子しか知り得なかった「秘伝」を誰でも学べるようになったのである。

そうすることでデューラーはドイツの芸術界全体がより良いものになることを願ったのであり、そしてそれは実際、大いに貢献したことだろう。

私(コスモ)は、この絵画1枚を通して、500年前を生きた1人の人間に心底惚れ込んだ。

そして、この1枚をきっかけとして、彼の人生を、そして彼の生きた時代を研究したいと思ったのだ。

運命の出会いから約9年、私たち無鉄砲姉妹はドイツに降り立ち、この傑作と対峙したのだった。

これがコスモの後ろ姿!・・・ではありません。たまたま写り込んだ来館者です。

『四人の使徒』―――デューラー最晩年の傑作がもつ歴史的価値」はこちらからどうぞ!

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