カイザーブルクを後にした無鉄砲姉妹が次に向かったのは、我らが敬愛する北方ルネサンスの画家、デューラーの暮らした家だ!
美しい木組みの家は築600年!?
アルブレヒト・デューラー・ハウス(Albrecht-Dürer-Haus) は、カイザーブルクから本当にすぐ近くの場所に建っている。
見るからにドイツらしい可愛い木組みの家だが、なんとこの家、最初に建てられたのが1420年!!
それから幾度も改築や増築などされているようだが、取り壊されたことは一度もなく、また第二次世界大戦の戦禍も奇跡的に免れたため、築600年というから驚きだ!
正面の入口からなかに入ると、受付がある。そう、このデューラー・ハウスのなかは、美術館になっている。
といっても、中に展示されているのはそのほとんどすべてがデューラーの作品のコピー品。
正直なところ、一見してもコピーとわかる完成度なので、ここは雰囲気だけを楽しんで、本物はネットで検索するか、可能ならぜひ各地の美術館でご鑑賞いただきたい。
(無鉄砲姉妹がミュンヘンのアルテ・ピナコテークでデューラーの作品を鑑賞した記録はこちら)
受付で入場料(大人6ユーロ/ 2021年12月現在)を支払うと、オーディオガイドも借りることができる。ちゃんと日本語のオーディオガイドもあり、しかも案内人がデューラーの妻であるアグネスという設定になっているので、なかなか楽しく聞くことができる。
ドイツ中世の台所!?
さて、さっそくなかを見て回ろうと、受付の横にある階段を登ると、さっそくあるのが台所!
実はこのデューラー・ハウス、1509年から彼が亡くなる1528年までたしかにデューラーが生きた家なのだが、その後持ち主が何度も変わり(彼の死から500年くらい経つのだから当然だろうが)、その間に内装などは大きく変わってしまった。
そのため、現在美術館として見学している姿は、当時デューラーが生きていたころの再現というわけではなく、当時の本人の記録や、同時代の芸術家たちの記録などをもとに、「たぶんこんな感じ?」で再現しているに過ぎない。
そのため実のところ、デューラーの作業場風にしてあるところも、本当にそこでデューラーのが作業していたのかどうか、定かではないらしい。
しかし唯一!このキッチンだけは、間違いなくキッチンだった場所らしい!
それもそのはずで、調理するための竈の場所は、変えようがなかったからである。
そんなデューラー・ハウスの台所。暗いが、非常に雰囲気があっていい。
おしゃれなビン底ガラス窓!
台所から居住空間に入っていくと、まず目につくのがとっても可愛い窓ガラス!
実はこれ、 クラウン法という製造方法で作られたガラス窓で、 ロンデル窓と呼ばれるもの。
大きな透明の一枚ガラスを作るというのは相当高度な技術なので、当時はビン底くらいの大きさのものを鉛の枠でつなぎ合わせることで、窓ガラスにしたそうだ。
今のように透明度が高くもないし、一枚ガラスでもないが、それでも当時のガラスというのは大変高価で、ある程度のお金持ちしか買えなかったらしい。
ちなみに、教会などに設置され、神秘的な雰囲気を作り出してくれるあの美しいステンドグラスも、成立の背景には、透明度の高く大きなガラスを作るのが困難なため、あえて色をつけ、一片を小さくして繋いで絵にすることにした、という現実的な理由があったりする。
とはいえ、おかげでそれが芸術作品になったのだから、やはり工夫するって素晴らしいことだな。
小さなデューラーの像も置いてあった。いいなあ、デューラーを敬愛する身としては、すごくほしい……。
こんなものも発見!
普通なら一瞬、「これなに?」となったかもしれない。
しかし!私たちは「アルプスの少女ハイジ」が小さいころから大好きだったのだ!
それがなんだと思われるかもしれない。しかひ我々は、この謎の物体が「ストーブ」であることを冬の家でアルムおんじからハイジとともに学んだのである!
そんなわけで、「あー!あのハイジの冬の家にあったみたいなストーブだ!!」とすぐに気づき、無駄にテンションが上がった無鉄砲姉妹であった。
にしても、ストーブがこのおしゃれさって改めてすごい。家が大きければ是非置きたいが・・・うちの家に置いたら、確実にめちゃくちゃ邪魔だな。
デューラーの紋章
いろんな部屋を回っていると、あるものを発見!
突如として目に飛び込んできたこの色鮮やかなステンドグラス。実はこれ、デューラーが1523年に制作した木版「デューラーの紋章」をステンドグラスにしたものらしい。
これは、デューラー家の紋章としてデューラー自身がデザインしたもの。
もとも彼は自分の名前Albrechtの頭文字であるAを扉のようにして、その中にDürerの頭文字のDを入れて、自分のサインとしているが、それは彼の父親がハンガリーのアイトーシュ(Ajtós)の出身であり、それが「ドア」を意味していることに由来する。
ドイツ語でドアは「Tür」で、そこから変化して「Dürer」となったので、デューラーは自分のルーツを意識して、「扉」をサインにも入れていたのだ。だからこの紋章にも、しっかり扉が描かれている。
加えて、翼の生えた黒人の胸像が中央にあるが、これは南ドイツの紋章によくみられるもので、母親であるバルバラの家系であるホルパー家で使用していたものらしい。つまり、父方と母方のルーツを双方デザインに取り入れたのである。
なかなかおしゃれなデザインなうえ、もとは木版だが、ステンドグラスにした際にチョイスされたこの色合いも、すごくかっこいい。
ちなみに、写真が少しブレてしまったが、この右の肖像の人物が、デューラーの母であるバルバラだ。彼女はなんと18人も子どもを産んだが、1524年時点で生きていたのは、アルブレヒトを含めたったの3人だった。
ちなみに、これはなかがデータバンクのようになっていて、操作するといろんな情報を教えてくれる。見た目のアンティークさと対照的なデジタル具合が妙におもしろい。
再現された作業場へ!
先にも述べたが、デューラーが実際に使用していた作業場はとっくの昔になくなっており、ここで今見られるのは「きっとこんな感じだったんだろう」と再現された作業場だ。
とはいえ、当時使われていたツールや顔料などの展示は、十分すぎるほど興味深い。
真ん中ちょっと右にある目にも鮮やかな青色顔料は、いわゆる天然ウルトラマリンと言われるものだが、本物のラピスラズリを砕いているためにとても高価で、「金よりも高価な色」と言われていたらしい。
そのため、キリストか、マグダラのマリアの衣を描く時くらいしか使われなかった時代もあるらしい。有名なフェルメールはこの青色が大好きだったようで、これをたくさん使って傑作を多く残したが、一方で家族を借金で苦しめたとか……。
版画刷り体験!
いろんな展示物を見ているだけでも十分楽しいが、こんな場所も発見!
ここでは、デューラーハウスの学芸員さん(?)と一緒に、版画刷り体験をさせてもらえる。
時間が決まっているのか、タイミングだけなのかよくわからないが、デューラーハウスに2回行ったうち、2回目だけ係の人がいたので、体験することができた。
(1回目はただの展示物かと思っていた……)
係の人は英語も話してくれるが、基本的に身振り手振りで教えてくれるので、言葉に自信がなくても問題ない!
指示通りに作業を進めると、写真の左側にある黄色い紙のように刷ることができる。
(画はデューラーの有名な木版「皇帝マクシミリアン1世の肖像」だ!)
刷り上がったものはお土産に持って帰らせてもらえるので、 アルブレヒト・デューラー・ハウス を訪れた記念に、是非体験してみていただきたい。
こうして敬愛するアルブレヒト・デューラーの暮らした家「アルブレヒト・デューラー・ハウス」を心ゆくまで満喫した私たちは、また必ず来ようという想いを胸に、ここを後にしたのだった。