翌日は、少しのんびりと朝食のサラミのせパンを食べ、それから家主さんからの勧めで、家のすぐそばからを走っている路面電車(Straßenbahn)の終点、「Doku-Zentrum駅」で降りてみることに。
路面電車の終点で降りると、目の前には大きな建物が聳え立っている。
それがこのドク・ツェントゥルム(Doku-Zentrum 正式名称:Dokumentationszentrum Reichsparteitagsgelände)だ。
家主さんの話だと、そこにはナチスが残した負の遺産であるナチ党の党大会場になるはずだった跡地であって、それが今ではドイツの国家社会主義の歴史を辿る文書センターとなっているとのこと。
ナチスの党大会がニュルンベルクで幾度も開かれていたことは知っていたが(ニュルンベルクを愛する身としては実に腹立たしい話である)、その党大会の会場となっていたのも、一駅前(徒歩でもすぐそば)にあるルイポルトハイン(Luitpoldhain)である。
そこにある戦没者記念堂(Ehrenhalle)とともに、このナチ党大会会場跡地にあって未完成となった議会ホール(Kongresshalle)は本来であれば完全な負の遺産だ。
しかしそれをただ取り壊すのではなく、過去の過ちを見つめ平和な未来を希求するための大切な施設への転換されたことは、非常に意義深いと思う。
ただ、今回はこのDoku-Zentrumの中に入るわけではなく、この建物があるDutzendteichの周辺を散策しにやってきた。
家主さん曰く、自然豊かでニュルンベルク市民の憩いの場になっているとのこと。また、時期によっては移動遊園地などがやってくるVolksfestもここで開催されるらしい。
というわけで、今日のところはこの建物には入らず、そのまま人々が歩いている方向へと向かった。
すぐに視界が大きく開けたかと思うと、輝く太陽と青空のもと、あまりにも清々しい景色が飛び込んできた。
池にヨットが浮かんでいる光景って、それだけですごく癒されるな。
と、思っていたらこれまた癒される存在を発見。
赤ちゃんと赤ちゃんガチョウの交流だ。(まあ、赤ちゃんというには少し大きいけども)
それぞれ単体でも癒されるのに、赤ちゃん×赤ちゃんは癒しパワーが倍増だなあ♪
このガチョウたち、すっかり人間に慣れているようで、人間が来ると餌をもらえると思ってか、どんどん集まってくる。
ただ、餌をあげていいのかわからない&そもそも餌になるようなものも持っていなかったので「ごめんね、何も持ってないよ」と言うと、まるで理解したかのように潔く去っていったのがまた可愛らしかったわけで。
そのまま池の周辺を歩いてみる。さすが市民の憩いの場、池のまわりにはとにかくたくさんのお散歩仲間が。
ふと、この池の名前「Dutzendteich」の由来について知りたくなり、辞書を引く。
「Teich」は普通に「池」だとわかったので、「Dutzend」を辞書で引くと「ダース(12個)、多数」という意味があるとわかった。
それで最初は「池がたくさんあるのかな?」と思ったけれど、実はどうやら違ったらしい。
というのも、ドイツ語版Wikipediaによると、「dutze」は中高ドイツ語で「葦の穂綿 (Schilfrohrkolben)」という意味があり、この地域の湿地としての性質を表す名前になっているとのこと。
つまり、ダースは関係ないのか……と思いながら、まんまと「森永ダース」を食べたくなった無鉄砲姉妹だった。
さて、名前調べついでにWikipediaの続きを見ると、この池の歴史も簡単に書いてあった。
そもそもこの池は1430年代にLangwasserなどの川を堰き止めて作られた人工池で、19世紀までは製粉所などが操業されていたらしい。
なんだ、これって人工池だったのか……でも1430年って、ずいぶん前に作られたんだな……なーんて考えながら、小径を行く。
こんな小さな鳥の巣箱も発見。確かに、ものすごくたくさんの鳥の声が聞こえる。
かなり歩いたと思うけれど、どうやら先はまだまだ続くらしい。
これは確かに散歩のしがいがあるなあなどと思いつつ、でもお腹がすいてきたので今日のとことはこの辺りで戻ろうかということに。
そうしてもと来た道をゆっくり戻っていくなかで、池の向こうには円形の建物を発見。
あれ、なんだっけ?Doku-Zentrumのほうにあるけど、さっきあんなのあったかな??
そう思ってネットで検索してみると、あれが例の未完成となった議会ホール(Kongresshalle)だと知る。さっきの建物の裏側あたりにあるようだ。
池に映っている姿はなかなかに綺麗なのに、あれがもし完成していたらどんな役割を果たすものだったかと考えると、何とも複雑な心境になる。
ただ、その感覚も悪いものではないのかもしれないな、なんて思った。
なぜなら、もしあの建物が負の遺産だからと取り壊されていたら、この美しい池の畔で過去の人類の過ちを思って胸を痛めつつ、こうして平和を強く願うこともなかったかもしれないのだから。