前回、前々回に引き続き、教会の内部を見学!そして今回は、いよいよ聖ローレンツ教会の目玉といえるふたつの芸術作品をしっかり見ていく。
聖ローレンツ教会の内陣でひときわ目を引くのが、中央に天井からぶら下がっている大きなレリーフ。これこそ……
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ファイト・シュトースの麗しき「ロザリオの受胎告知」
美味しいものはとっておくタイプの無鉄砲姉妹はあえてここまで触れなかったが、この美しいレリーフは聖ローレンツ教会に入ると本来一番最初に目に入る。
さて、この美しき「ロザリオの受胎告知」のレリーフを作ったファイト・シュトース(Veit Stoß)だが、なかなかな人生を生きている。
彫刻家ファイト・シュトースの人生
ファイト・シュトース(ca.1450-1533)はニュルンベルクを中心に活躍した有名な彫刻家で、市内外で多くのキリスト教彫刻を制作している。
彼はその製作期間の前半はポーランドのクラクフで過ごし、後半はニュルンベルクで過ごしている。
確かではないが、現在のバーデン=ヴュルテンベルク州にあるホルブ・アム・ネッカー(Horb am Neckar)の出身であるとされており、ニュルンベルクの商家であるショイルル家と親戚関係にあった可能性があるという。
1477年にクラクフでポーランド王の墓を制作したことが最初の記録として残っており、それから96年まではクラクフを中心に活動した。
1496年に妻と8人の子どもを連れてニュルンベルクに移り、市民権を得て活動を開始したが、1503年に証書の偽造をめぐって裁判沙汰となり、罰として両頬に焼き印を押され、また市参事会の許可なく市を離れることを禁じられることになった。
それにもかかわらず1504年、彼はミュンナーシュタットに逃亡し作品を制作したが、1505年には自分でニュルンベルクに戻ってきて、再逮捕されている。
なお、1506年にニュルンベルク市参事会がまとめた名簿には彼について、「落ち着きのない、救いようのない市民で、市参事会と一般市民を不安に陥れた」と記しているらしい。
そんなわけで罪人としてニュルンベルクで生きていくことになったわけだが、彼の彫刻家としての腕は誰しもが認めるところだったのだろう、彼のもとにはひっきりなしに依頼があった。
市参事会から要注意人物として問題視される一方、神聖ローマ帝国皇帝マクシミリアン一世は彼の作品を高く評価して彼に制作を依頼しているし、我らがデューラーも彼の優れた芸術性を認めていたようだ。
そうして彼は1533年に亡くなるまでに、先の聖ローレンツ教会の「ロザリオの受胎告知」などの素晴らしい作品を数多く完成させている。
ロザリオって?
さて、そんなファイト・シュトースが制作した「ロザリオの受胎告知」だが、ドイツ語ではEngelsgruß、つまり「天使の挨拶」という意味だ。
だから、タイトルは「天使の挨拶」でもいいのだろうが、ほとんどの文献などで「受胎告知」あるいは「ロザリオの受胎告知」と呼ばれているので、ここでもそう呼ぶことにする。
中央には大天使ガブリエルと聖母マリアが立っており、神の子を身籠ったことを伝えている場面であり、まさに「受胎告知」だ。
しかし、「ロザリオの受胎告知」とも呼ばれるのはなぜか。
それは、この大天使ガブリエルと聖母マリアの像を囲むように55個の薔薇が円環になっているこれのことを指している。
そもそもロザリオとは、カトリック教会において聖母マリアへの祈り(アヴェ・マリア)を繰り返し唱える際に用いる数珠状の祈りの用具らしい。
そもそもロザリオという名称が、ラテン語のrosariumに由来するもので、これは「バラの冠」という意味なのだそうだ。
「受胎告知像」をロザリオが美しく囲んでいるのがとても印象的なため、「ロザリオの受胎告知」と呼ばれるようになったようだ。
また、ロザリオのなかには聖母マリアの生涯とキリストの生涯の両方を描いたメダリオンが8つ埋め込まれている。
なお、このレリーフはシナノキから作られているとのこと。表情、色使いなど、見れば見るほど美しい、見事な彫刻作品だ……。
なお本作、1517年にニュルンベルク市参事会のローズンガー(いわゆる財政行政官で、ニュルンベルクの実質的最高権力者のひとりだっ!)のアントン・トゥーハー(Anton Tucher)が依頼し、最終的な支払いが行われる前に我らがデューラーに作品の品質チェックをしてもらったらしい。
つまり本作は、我らがデューラーのお墨付きというわけだ!!
大きいのに精巧すぎる!「聖体安置塔」(Sakramentshaus)
さて、最後は「ロザリオの受胎告知像」のすぐ左にご注目!
一瞬、柱の色に擬態して見逃しそうだが、これこそ聖ローレンツ教会のもうひとつの目玉、「聖体安置塔」(Sakramentshaus) である。
石なのに、まるで植物!?
聖ローレンツ教会の天井まで届く、高さ約20メートルの大きな塔だが、その大きさ以上に圧倒されるのは、その精巧さ、繊細な表現の得も言われぬ美しさだ。
天井まで高く伸びているが、よく見ると、蔦が這うかのように塔の一番上のところが少し曲がっている。
当然固い石でできているはずなのに、植物のような柔らかさを感じさせられ、この時点でこの作品の素晴らしさの片鱗に触れるようだ。
そんな表現に圧倒されつつ、最上部からゆっくり塔の台座部分へと視線を落としていくと……
!!
一瞬、リアルに人が座ってるのかと思った。
いやあ、なんともリアルな石像だ。ふっとこのまま立ち上がりそうな、自然な感じ。
それに表情も、なんだかすごくいいな。すごく……知り合いのおじさんみたいな親しみ深さを感じてしまうのは、私たちだけだろうか。
そんな、親しみを艦居させてくれるこの石像のモデル……なんと、この見事な「聖体安置塔」を制作した張本人!アダム・クラフト(Adam Kraft)だっ!
彫刻家アダム・クラフトについて
アダム・クラフト(1455~60-1509)は、ニュルンベルクで活躍した後期ゴシック期の彫刻家。
指物師の息子として生まれ、人生のほとんどをニュルンベルクで過ごしたが、彼の人生については多くは知られていない。
ただ、二度の結婚を経験したものの子宝には恵まれなかったようで、また、多くの製作依頼を受けていたにもかかわらず、生涯を通して経済苦にあったらしい……。
しかし、彼の残した作品はどれも素晴らしく、そのなかでも傑作と言われているのが、この聖ローレンツ教会の「聖体安置塔」だ。
「聖体安置塔」について
この「聖体安置塔」が制作されたのは1493年から1496年の間で、高さ約20m、幅約3.40mという大きさだ。
この塔にはキリストの生涯のさまざまな場面(最後の晩餐、受難、磔刑、復活)が描かれており、宗教改革の際も、この見事なキリスト教芸術は聖像破壊の手から守られた。
ただ、第二次世界大戦で聖ローレンツ教会が爆撃を受けた際、作品を壁で覆って保護していたにもかかわらず、作品の上部3分の1が破壊されてしまった。戦後に職人たちが古い手本を参考に新しく作り直したという。
人の命はもちろんだが、誰かが人生をかけて作り上げ、多くの人々が守り抜いてきた大切なものを一瞬にして破壊してしまう戦争は残酷であり、絶対に許されるべきものではないと改めて痛感する。
以上、前中後編と三度に渡って聖ローレンツ教会をご紹介してきたが、聖ゼーバルト教会とともに思い入れが強い教会だったため、思った以上に長く書いてしまった。
とはいえ、これでもまだ書き足りないことがたくさんあるので、そのあたりはまた折を見ておいおい記事にしていきたい。
そしてこうして改めていろいろ調べ直すと、ニュルンベルクという街の美しさと素晴らしさを実感するとともに、それが戦争によって一度は壊滅的なまでに破壊されたことを思うと、胸が詰まる思いだ。
とはいえ、戦後のニュルンベルク市民たちが自分たちの愛する街を元通りにしたいという強い思いでここまで見事な復興を遂げたのだと思うと、感動するほかない。
今年は世界情勢も不安定だったが、改めて平和の大切さをしんみりと感じる無鉄砲姉妹なのだった。
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