ニュルンベルクの「双子の教会」のうち、聖ゼーバルト教会の見学を済ませた私たちが次に向かったのは、双子のもう一方の教会、聖ローレンツ教会だ!
荘厳なゴシック教会「聖ローレンツ教会」
聖ゼーバルト教会も大好きだが、この聖ローレンツ教会には妙に思い入れがある無鉄砲姉妹。最初の訪問以降、意味もないのに何度も何度も(もはや数え切れないほどに)この教会を訪ねたものだ。
U-Bahn(地下鉄)の「ローレンツ教会(Lorenzkirche)駅」で降りて地上に出るとすぐ、上の聖ローレンツ教会にどーんと出迎えられる。
最初にこれを目にした時の感動は、なかなかなものだった。見るからにこれぞ中世のゴシック教会!という感じで、私たちの好みドンピシャだっ!
しかし、バラ窓があるとやはりいいな。ザ・教会!って感じがする。
そうしていよいよ中に入っていくわけだが、その前に……
聖ローレンツ教会の歴史
今回もまずは聖ローレンツ教会の歴史を少しだけ、ご紹介!
聖ローレンツ教会は、聖ローレンスを守護聖人とする教会で、バシリカの教会堂としては1250年頃に建築開始となり、推定1275年頃から、確実には1315年から教区として独立した。
ニュルンベルクはペグニッツ川の北と南で教区が分かれているので、南側であるローレンツ地区の市民教会としての役割を果たしている。
なお、1439年から1477年の間に西側正面の双塔を伴う身廊(入り口から主祭壇に向かう中央通路のうちの袖廊に至るまでの部分)の拡張工事が行われ、ほぼ現在の形になった。
1522年からは、ルター派の神学者でもあったアンドレアス・オジアンダー(Andreas Osiander)が説教師になり、1524年には宗教改革を導入したが、市参事会が聖ローレンツ教会内の芸術作品の破壊は禁じた※。
そのおかげで、聖ローレンツ教会では、宗教改革前に作られたファイト・シュトース(Veit Stoß)の受胎告知像(der Engelsgruß)や、アダム・クラフト(Adam Kraft)の聖体入れ(Sakramentshaus)のような素晴らしい芸術作品を今日もなお見ることができる。
※というのも、プロテスタントの一部の過激な宗派では、偶像崇拝を禁じて「聖像破壊(運動)」が起こり、多くのキリスト教美術が破壊されたのだ(なお、ルターはこれを認めていない)。これを防ぐために、市参事会は主教改革導入に際してあらかじめ聖像破壊を禁じたのである。ニュルンベルク市参事会に、素晴らしい美術品たちを守ってくれて本当にありがとうと伝えたい。
その後何世紀にも渡って、大きな損傷などを受けることはなかったが、第二次世界大戦下の1943年、奇しくも教会の名前である聖ローレンスの日(8月10日)に初めて爆撃を受けることになり、その後1945年の1月2日にも別の爆弾が身廊の屋根全体を破壊するなど、多大なる被害を受けた。
第二次世界大戦後、ようやく最初の礼拝を行えたのは、1952年の8月10日(聖ローレンスの日)だったが、その開催までに教会のコミュニティと市民たちによる相当な尽力を必要とした。
その50年後の2002年には、教会の再建を祝う記念式典が盛大に行われた。
いよいよ、教会内部へ。
聖ローレンツ教会の歴史を知った上で、いよいよ教会のなかへ入っていくと──
ああ……!中も、ザ・ゴシック教会!思わず息を飲む美しさだ。
例の如くゴシック教会特有のひんやりとした空気と石の匂いがして、とても癒される……。
百合の生花もたくさん飾られていて、近くに寄ると漂ってくる濃い百合の香りも実に素晴らしかった。
聖ローレンツ教会にはその後何度も何度も入ったが、百合の生花が飾られていたのはこの時だけだったと思うが、何かの式典用だったのだろうか。それとも季節的なものだったのか──。
美しき聖ローレンツ教会のバラ窓
振り返ると、外から見えたあのバラ窓が──!
iPhoneのカメラでさらに拡大してみると……
おおっ──美しい……!
外の光が差し込んで色鮮やかに輝くステンドグラスが円形に配置され、まさに光の薔薇の花のようだ。
ノートルダム大聖堂のバラ窓ほどの豪華絢爛さはないが、個人的にはこのシンプルなデザインがすごく好きだ。
そしてこのバラ窓の周りを囲むように、パイプオルガンのパイプが。
どんな音がするのだろう?そう思っていると、ちょうどおじさんがやってきて、少しだけ演奏をしてくださった。礼拝のための練習だったようだが、とても美しい音色だった。
→「ニュルンベルクの聖ローレンツ教会を見学!中編」に続く。
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