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ベートーヴェン生誕250周年の記念イヤーなのに。
「第九」―――それは、人類共通の芸術的財産、至宝である、と私は思う。
私はこの曲を心から愛しており、聴くのはもちろん、自分でも一般参加可能な「第九」のコンサートに参加し、歌うこともある。
ところで、今年はベートーヴェン生誕250周年の記念イヤーであった。
「BTHVN2020」(←Beethovenの綴りから母音を抜いている)と銘打って、世界中のベートーヴェンを愛する人々が、この2020年という年を祝おうと楽しみにしていた。
私も、そのなかの一人であった。
ベートーヴェン関連のイベントや大規模なコンサートの計画が立てられ、今年はベートーヴェンの音楽に全身浸りきろうと思っていた。
しかしその願いは、まさかの事態によって打ち砕かれてしまった。
新型コロナウイルスの感染拡大である。
またたく間に世界中に広がったこのウイルスは、今なお多くの尊い命を奪い続け、世界中に大きな衝撃を与えている。
経済的な打撃は計り知れず、答えのない問題が次々と起こるなか、ウイルスという目には見えないものへの恐怖と、いつまでも先の見えないことへの大きな不安が増大するばかりだ。
しかし、こんなときだからこそ改めて聴きたい、聴いていただきたい曲がある。
それこそ、ベートーヴェンの「第九」である。
Deine Zauber binden wieder,
汝が魔力は再び結び合わせるのだ、
Was die Mode streng geteilt;
時流が強く分け隔てたものを。
ご存じの方も多いと思うが、これは「第九」ことベートーヴェンの交響曲第9番の第4楽章で歌い上げられる歌詞の一部である。
この曲の持つ力、そしてこの曲に込められたメッセージは、新型コロナによって人との繋がりと世界の繋がりが希薄になっている今こそ、その真の輝きを放つといえるかもしれない。
今回は、ベートーヴェンの「第九」の歴史や歌詞から、今こそ聴き、そして共に歌いたいこの曲の魅力について、取り上げたい。
なぜ年末に「第九」?
「第九」ほど、人々のなかに根付いたクラシックがほかにあるだろうか。
年末には日本各地で「第九」の演奏会が開催され、大晦日には毎年必ず第九の演奏会がテレビで放送される。
さらに、通常はあくまで聴く側であるクラシック音楽に、演奏する側、歌う側として参加できる機会がこれほどまでに豊富な曲が、ほかにあるだろうか。
市民の有志による第九は日本各地で毎年開催され、大規模なものから小規模なものまで合わせるとそれこそ無数の第九の演奏会が行われている。
このときばかりは、慣れないドイツ語の歌詞を必死で覚え、普段絶対出さないような高さの声を必死で出しながら、歌い手の1人として舞台に上がり、たくさんの聴衆を前に高らかに歌い上げるのだ。
そのときの高揚感というのは、実際に参加したものしかわからないものがある。
この「第九」が、日本でこれほどまでに浸透した理由として、1つはやはり年末のNHK交響楽団による演奏会の存在が挙げられる。
そもそもこのすっかり恒例となった演奏会は、終戦から間もない1947年に現在のNHK交響楽団である日本交響楽団によって行われた際に絶賛され、以降年末には第九を行うということが習慣化したとのこと。
現実的な意味では、人気の高い「第九」を演奏すれば必ず人が入るので、運営に困窮していた楽団が、年越しのための資金を獲得するにも非常に有益であったという。
いずれにしても、人々にとって戦後の厳しい時代を生き抜く希望の光となったに違いない。
ちなみにこの大晦日に「第九」を演奏するという文化は、欧米ではほとんど見られないという。
ただし、最初に日本で大晦日の第九を演奏するきっかけとなった、ドイツのライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団は、第一次世界大戦後に「第九」を演奏して以来、大晦日に演奏をしている。
日本における「第九」の初演
日本と「第九」の縁は、その最初の演奏会から何か特別なものだった。
2006年に公開された、『バルトの楽園』(※1)という映画をご存じだろうか。
第一次世界大戦中の徳島県鳴門市の坂東俘虜収容所が舞台となっており、主演の松平健が収容所長を演じ、ドイツ軍青島総督をブルーノ・ガンツが演じている。
この『バルトの楽園』は実話をモデルにしており、当時、戦争捕虜の扱いがあまり良くなかった日本の収容所の中で、この坂東俘虜収容所の松江所長は友好的かつ人道的な扱いを心がけ、捕虜たちに自主活動を奨励、地元民との文化的交流まで行われた。
そして松江所長はじめ坂東の人々への親愛の情を込めて、ドイツ人捕虜たちは1918年6月、収容所で結成されたヘルマン・ハイゼン楽団によって、日本ではじめてベートーヴェンの交響曲第9番が合唱付きで全曲演奏された。
“Alle Menschen werden Brüder”ーーー「すべての人は兄弟となる」
「第九」は、作詞者であるシラーと、この詩を愛したベートーヴェンの平和を願う想いの結晶である。
この「第九」の日本での初演が、戦争の最中にも関わらず敵と味方の垣根を越えて親愛の情から演奏されたことは、本当に素晴らしいことであると思う。
(※1)話は逸れるが、この映画、大部分は史実に沿って作成されているが、いくつかのフィクションも追加されている。
フィクション追分で個人的に一番面白かったのはカルル・バウムという架空の人物の追加で、彼は劇中で「私は日本に残ります。そして神戸でケーキ屋を開き、ドイツのおいしいケーキを日本で作りたいのです」と語る。
本来はこの坂東俘虜収容所ではなく別の収容所にいたこの人物のモデルこそ、日本で最初にバウムクーヘンを焼いたといわれているカール・ユーハイム氏であり、デパートのデザート売り場に入っていて、お手頃価格なのに、添加物を入れず、とってもおいしくて長持ちするバウムクーヘンの老舗「ユーハイム」を創設する人物なのだ。
(↑私はこのユーハイムのお菓子が大好きだ)
「苦悩を突き抜けて歓喜へ」
“Durch Leiden Freude”というフレーズをご存じだろうか。
意味は「苦悩を突き抜けて歓喜へ」。
これは、ベートーヴェンが残した言葉である。
苦悩、それはベートーヴェンの人生にはあまりにも重く、大きくのしかかっていた。
ベートーヴェンの耳が聞こえなくなったことは誰もが知っているが、しかしその真の苦悩を知るものがどれほどいるだろうか。
音楽家でありながら聴覚を失う、それは画家が視力を失うことであり、料理人が味覚を失うことである。
その恐ろしさ、苦しみ、絶望感は想像を絶する。
それにもかかわらず、「第九」を含む彼の数多の傑作は、この聴覚を失ったのちに作曲されたものなのである。
有名な「ハイリゲンシュタットの遺書」というのがある。
これは弟であるカールとヨハンに宛てて書かれた手紙であるが、そこには自身の聴覚がもはや完全に失われることを悟り、絶望し、自殺すら幾度も考えたことが書かれている。
しかし、にもかかわらず、その手紙の最後に書かれているのは、自分の芸術家としての果たすべき使命である。
この使命を全て果たすまでは死ぬことはできないのだという決意と、輝くばかりの誇りである。
この手紙を読むと、彼の残した「苦悩を突き抜けて歓喜へ」という言葉の意味がよくわかる気がする。
苦悩とはなにか、絶望とはなにか、彼はそれを耐え難いほど身をもって知っていた。
そんな彼が、その苦悩の先に見出したのは、歓喜であった。
しかもそれは、単なる「快楽」や「愉しさ」ではない。
生命の奥底から湧き上がる枯れずの泉ーーー力強く、何ものにも揺るがぬそれこそ、真の生命の「歓喜」なのである。
シラーの詩「歓喜に寄す(An die Freude)」とベートーヴェン
第4楽章の合唱部分は、ベートーヴェン自身が作詞した冒頭部分を除くと、ドイツの大文豪ゲーテと並ぶドイツ古典主義の代表者、フリードリヒ・フォン・シラーの詩「歓喜に寄す(An die Freude)」から成っている。
ただし、原詩はかなり長いため、曲がつけられたのはその一部であり、また、その詩の構成は大きく変更されている。
(この抜粋は作曲者であるベートーヴェン自身により行われているわけであるから、ベートーヴェンのいう「歓喜」をより深く理解するためには、どの部分が削除され、また逆にどこの部分がどのように繰り返し歌われているかを知ることは、非常に有意義だろう。)
実は、この詩に最初に曲を付けたいとベートーヴェンが考えたのは、実際に曲が完成する30年も前の、1792年といわれている。
このころといえば、1789年に始まったフランス革命が、ヨーロッパ全土に大きな衝撃を与えていたころである。
当時シラーはフランス革命に共鳴しており、1785年に発表されたこの「歓喜に寄す(An die Freude)」の詩も、フランス革命の自由、平等、友愛の精神が息づいている。特にその初稿には、「物乞いらは君主らの兄弟となる」のような、直接的にフランス革命の精神を連想させる箇所もあった。
ベートーヴェンがこの詩に深い感銘を受け、この詩に曲を付けようと決めたのも、この初稿に対してであった。
つまりベートーヴェンもまた、フランス革命に共鳴していたということである。
しかしフランス革命が進むにつれて、暗雲が立ち込める。
1793年のフランス王ルイ16世と王妃マリー・アントワネットの処刑はあまりにも有名であるが、革命による殺人と暴力の正当化は、崇高な革命精神の理想に共鳴していたシラーにとって衝撃であったに違いない。
そして1803年に自身の作品を『詩集』にまとめて発表した際、彼はさきの「物乞いらは君主らの兄弟となる」を「すべての人は兄弟となる」に変更するなどしている。
そこには、この詩から政治革命的な側面を排除し、より普遍的な意味での自由、平等、友愛の精神が息づく詩へと昇華させようというシラーの意思を感じられるように思う。
そしてベートーヴェンもまた、フランス革命の限界を感じていた。
特に、『英雄』の名で知られる交響曲第3番のエピソードは有名である。
ベートーヴェンは革命の旗手であるナポレオンに共感し、交響曲第3番はナポレオンを讃える曲として作曲されたが、1804年の完成後まもなくナポレオンが皇帝に即位したことを知ると、彼は激怒し、献辞の書かれた表紙を破り捨てたというものである。
激動の時代を生きたシラーもベートーヴェンも、大いなる理想を胸にフランス革命に期待したが、そのフランス革命もまた、この世界を真の意味で変えることはないのだと気づいた。
そしてそれから20年後の1824年、ようやく完成した「交響曲第9番」は、シラーの1803年改訂版の詩に曲を付けたものであった。
つまりベートーヴェンもまた、より普遍的な意味での自由、平等、友愛の精神が息づく曲として、この曲を作ったといえるだろう。
「歓喜に寄せて」の日本語訳(無鉄砲姉妹版)
ここで、第九の第4楽章で歌い上げられる「歓喜の歌」について、その歌詞の和訳を自分でも考えてみた。
(無鉄砲姉妹が訳したものなので、間違いなどあれば是非ご指摘いただけると幸いです。)
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An die Freude
歓喜に寄せて
O Freunde, nicht diese Töne!
おお友よ、このような音色ではない!
Sondern laßt uns angenehmere
そうではなく、私たちにもっと心地よく
anstimmen und freudenvollere.
歓喜に満ちたものを歌わせてくれ。
Freude, schöner Götterfunken,
歓喜よ、素晴らしき神々の霊感(火花)よ
Tochter aus Elysium
エリュシオン(ギリシア神話の楽園)の娘よ
Wir betreten feuertrunken.
私たちは火に酔いしれて踏み入れるのだ。
Himmlische, dein Heiligtum!
天上の、汝が聖域に!
Deine Zauber binden wieder,
汝が魔力は再び結び合わせるのだ、
Was die Mode streng geteilt;
時流が強く分け隔てたものを。
Alle Menschen werden Brüder,
すべての人は兄弟となるのだ、
Wo dein sanfter Flügel weilt.
汝の柔らかき翼が留まるところで。
Wem der große Wurf gelungen, Eines Freundes Freund zu sein,
ひとりの友の友たるという、
その大いなる成功を勝ち得た者、
Wer ein holdes Weib errungen,
心優しき妻を勝ち取った者は、
Mische seinen Jubel ein!
歓声とともにこの輪に加わるがよい!
Ja, wer auch nur eine Seele Sein nennt auf dem Erdenrund!
そうだ、地球上にただひとつの魂でも、
我がものと呼べる存在がある者も!
Und wer's nie gekonnt, der stehle Weinend sich aus diesem Bund!
そしてそのいずれもなし得なかったものは、
こっそりと泣く泣くこの輪を立ち去るがよい!
Freude trinken alle Wesen An den Brüsten der Natur;
全ての被造物は自然の乳房から歓喜を飲む、
Alle Guten, alle Bösen
全ての善人も、すべての悪人も、
Folgen ihrer Rosenspur.
その薔薇の道を辿るのだ。
Küsse gab sie uns und Reben,
それは口づけとぶどう酒と、
Einen Freund, geprüft im Tod;
死の試練を受けたひとりの友を与えた。
Wollust ward dem Wurm gegeben,
虫にも快楽は与えられ、
und der Cherub steht vor Gott.
そして智天使ケルビムが神の御前に立っている。
Froh, wie seine Sonnen fliegen Durch des Himmels prächt'gen Plan,
太陽が見事な計画のもと天を翔るが如き陽気さで、
Laufet, Brüder, eure Bahn,
兄弟よ、己が道を行け、
Freudig, wie ein Held zum Siegen.
勝利へ向かう英雄の如く、喜ばしく。
Seid umschlungen, Millionen!
抱かれよ、諸人よ!
Diesen Kuß der ganzen Welt!
この口づけを全世界に!
Brüder, über'm Sternenzelt Muß ein lieber Vater wohnen.
兄弟よ、この星空の上には、
父なる神がいらっしゃるに違いない。
Ihr stürzt nieder, Millionen?
君らはひれ伏すか、諸人よ!
Ahnest du den Schöpfer, Welt?
君は創造主の存在を感じているか、世界よ?
Such' ihn über'm Sternenzelt!
星空の上にそのお方を求めよ!
Über Sternen muß er wohnen.
星々の上にそのお方は必ずやいらっしゃる。
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「おお友よ、このような音色ではない!
そうではなく、私たちにもっと心地よく
歓喜に満ちたものを歌わせてくれ。」
この冒頭は、ベートーヴェン自身が作詞した部分である。
つまり、ベートーヴェン自身が歌詞を追加してでも言いたかったことである。
それが、「このような音ではない!」という否定。
どういうことなのか。
この言葉がソリストから高らかに発される直前、いわゆる聞き慣れたあの「歓喜の歌」のメロディーが壮大に響き渡る。
それが、突然の終わりを迎え、デジャヴのように、第4楽章の冒頭が繰り返される。
あたかも「気に入らない、もう一度やり直すぞ」といわんばかりである。
つまり、「このような」という言葉が指すのはここまでの音楽のことだろう。
しかし、なにが気に入らなかったのか。
そこまでの音楽と、それ以降の音楽、つまり、やり直した音楽の最も大きな違いは、「人間の声」の参加の有無である。
故に私は、この「人間の声」こそ「交響曲第9番」の完成に不可欠なものであるというベートーヴェンの強い意思を感じるのである。
オーケストラの音楽、それは荘厳で美しく、完璧である。
それに対し、人間の声、とくに大人数の合唱団の歌声というのは、一面で不完全なところがある。
調律された楽器とは違い、人の声というのは非常に個性的で、多種多様である。
それぞれ楽譜通りに歌っていても、完璧とか、完全とは違って、生々しさがある。
しかしそれこそが、ベートーヴェンの求めたものではなかったか。
第1楽章から第4楽章のソリスト登場までの音楽は、ある意味で理想的で、天上の世界の完璧なものを感じさせる。
しかしソリスト登場以降、合唱とともに響き渡る音楽は、そうした天上の完全性というよりも、大地より天を仰ぎ見る「人間の音楽」である。
完全な存在ではないが、力強く、生命力に満ちている。
そして同時に、天上の世界への憧れと、超越的あるいは絶対的な存在に対する畏敬の念を抱いている。
この愛すべき生命体は、苦難の人生のなかにおいても喜びを見出し、互いを兄弟と呼び、ともに鼓舞し合って生き抜くことができる。
「第九」を聞くとき、そんなベートーヴェンの人間への深い愛と信頼感が、その根底にあるような気がするのである。
今まさに、世界中が苦難のなかにある。
しかし、そんななかでも互いを支え合い、協力して困難の克服に立ち向かう人々の姿がある。
こんなときも希望を失わず、そのなかにも喜びを見出しながら生きる人間というのは、本当に逞しく、素晴らしい存在ではないか。
第九の歓喜は、苦悩を突き抜けた先の歓喜である。
このコロナ禍という苦難の時期を乗り越え、その先の歓喜へ、今こそ第九を聴き、口ずさみながら、日々を力強く生き抜いていきたい。